Jimmie Rodgers(ジミー・ロジャーズ)

”カントリー音楽の父” ジミー・ロジャーズ

1920年頃の初期のカントリーは「ヒルビリー」や「オールドタイム」とか呼ばれるが、最初のスーパースターはまぎれもなく、このジミー・ロジャーズである。

ジミー・ロジャーズは結核となってしまい、残念ながら35歳でその短い生涯を終えている。そして、晩年の1927年〜1933年の約6年間でポピュラー音楽界の遺産とも言うべき100曲以上のレコーディングをこなした。

人種の壁を乗り越え、いろんな音楽を吸収し、「ブルーヨーデラー」という異名を持ち、リアルな心情を歌い、その後のカントリー界はもちろん、音楽界全体への影響は計り知れない。

 

略歴と遺産

ミシシッピ州で生まれ育ったジミーは、若い頃から南部を放浪したりして芸人になりたかったようで、メディシンショーなどの演劇をやって、黒人のカッコをして出たりしていたそうである。ただ、父親が鉄道関係の仕事をしていた関係で鉄道にたずさわるようになった。

実はそのことが重要で、ジミーは鉄道労働者であったアフリカ系アメリカ人や白人の労働者階級の人たちと交流があり、いろんな楽器に触ったり、音楽を聴くことが多かったのである。そしてブルースジャズなども吸収していったのだろう。数年後にはブレーキ係として活躍した。

その頃結婚もして娘もでき、そんな状態がしばらく続いていたが、27歳の時に結核を患ってしまうのである。皮肉にも、鉄道の仕事がままならないようになって、ジミーは演芸に戻らざるを得なかった。

あるとき、バンドのメンバーが、「ラルフ・ピア」という人間がテネシー州のブリストルでオーディションをやるという話を聞きつけたので、8月の暑い日にオーディションを受け、見事に合格する。

翌日には最初の録音と言われている2曲を録った。この時のギャラは100ドルとのこと。レコードはそれなりに売れたようで、以降もラルフ・ピアと仕事をすることが決まった。

その年の11月にはニュージャージーで4曲をレコーディングしたが、後になんと50万枚も売れるヒット作となった。これがきっかけとなって、一気にジミー・ロジャーズはスターダムにのし上がったのである。これがカントリー・ミュージシャンとしては初めて独立した人間の誕生であった。

その後は順調にレコーディングやツアー、映画出演など忙しい日々が続き、、持病の結核が進行してきていた。

1933年には病状がかなり悪くなっており、ニューヨークで看護師を引き連れて、身体は限界に来ていたが出来るところまで録音した。

そして最後の録音の2日後に息を引き取る。(享年:1933年5月26日)

生涯のシングル売上も約1000万枚ほどであった。

 

その早すぎる死を嘆く者も多いが、ジミー・ロジャーズの何が偉大であったのか?

ヒルビリーのようなアパラチアン・フォークソングに乗せて弾き語りをするそのスタイルは、後のカントリーフォークの礎を作ったという功績だけでも計り知れない。特にヨーデルを使った歌い方はカントリー系にたくさん影響を与えた。

本来であれば、それだけでも十分に凄いのだが、ジミー・ロジャーズの真価は、さらにブルーグラス、ブルース、ジャズ、ハワイアン、ロック、ポップ、アメリカーナなどなど多くの大衆音楽に影響を及ぼしたことにある。

もともとミシシッピで生まれ、放浪芸人をやったり、鉄道労働者として働いていた時も、たくさんのアフリカ系アメリカ人からブルースやラグタイム、ジャズなどを吸収しており、それらを彼独特のフォークソングに乗せてアウトプットしていたのもごく普通のことだったのかもしれない。

当時アメリカ南部では「ジム・クロウ法」などの人種差別法があったにもかかわらず、ジミー・ロジャーズにいたっては、そんなこと関係なしに黒人やネイティブ・アメリカンなどとも文化的な交流をして、音楽にも取り入れていたのだろうと思う。

その結果として、後のアメリカ音楽に影響を与えた功績はやはり大きいと言わざるを得ない。

 

 

代表曲

主な代表曲

「The Soldier’s Sweetheart(1927年)」

記念すべきジミー・ロジャーズの初録音曲。1927年8月にラルフ・ピアのプロデュースにより世に出た初シングルである。

動画はスウェーデンのマイケルというミュージシャンが投稿しているが、クランク式の蓄音機で再生してくれており、雰囲気も伝わってくるとても素晴らしいものになっている。

また、ジミー・ロジャーズの曲はそのほとんどに”ヨーデル唱法(裏声と地声を交互に歌う)”を使っているのだが、この曲では使っていないので、まだヨーデル唱法が出来上がっていない時に録音した貴重な音源である。

重要度 4.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

 

「Away out on the Mountain(1927年)」

この曲も1927年の録音であるが、ニュージャージーで録っている。リズムがカントリーっぽくて人気のある曲。たくさんのミュージシャンにカバーされていて、初期のジム・ロジャーズを代表する曲である。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 2.5
総合 3.0

 

 

 

「T For Texas:Blue Yodel No.1(1927年)」

ジミー・ロジャーズが「ブルーヨーデラー」と呼ばれるのは、やはりほとんどの曲にヨーデル唱法が絶妙に入れられているからだろう。その中でも代表的なものが12曲あって、それら全てにNo.1〜No.12とつけられている。そして、この曲はまさしくそのNo.1(1番目)の曲で、難しいヨーデルを弾き語りでなんなくこなしているところはさすがだ。

また、この動画は1930年に制作された”シンギング・ブレーキマン”というプロモーション映画用のクリップではあるが、ジミー・ロジャーズが動いている様子をとらえた貴重な映像である。

重要度 4.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「The Brakeman’s Blues(1928年)」

カッコいいギターの音で始まるイントロ。そのままの勢いでずっと最後までいくような曲であるが、ジミーの曲中ではそれほど代表的ではない。ただ、個人的にはとてもカッコよくて好きなので取り上げてみた。

重要度 2.5
知名度 2.0
ルーツ度 3.5
好み 4.0
総合 3.0

 

 

 

「Lullaby Yodel(1928年)」

こちらはSpotifyから音のみご紹介。少しスローなテンポのギターのバッキングに優しげなジミーの声がまさに子守唄のようで癒やされる。何気なく聴いていると知らず知らずのうちに引き込まれていくような素敵な曲である。

重要度 2.0
知名度 2.5
ルーツ度 2.5
好み 3.5
総合 2.5

 

 

 

「Waiting For A Train(1928年)」

この曲はジミー・ロジャーズの曲中で最も有名かもしれない。鉄道労働者でもあったジミーは「歌うブレーキ係」とも呼ばれており、こういったレイルロード・ソングといった鉄道に関する曲も多い。さらにホーボーという放浪芸人であったことが鉄道とは切り離せない関係になっていった。

冒頭にいきなり汽笛のような音がして、なんの楽器だ?なんて思ってしまうが、それはジミーの声。若い頃から演芸をやっていたこともあって、ミュージカルやコント仕立てのステージでもいろんなアイデアで対応できる力があるのも彼の凄いところなのである。

この動画も”シンギング・ブレーキマン”のショートフィルムからの弾き語りバージョンであるが、ジミーが動いている映像自体がレアなので取り上げた。

重要度 4.0
知名度 4.0
ルーツ度 4.0
好み 3.5
総合 4.0

 

 

 

「Any Old Time (1929年)」

出だしはいつものジミー節で、ギターとヨーデリングから始まっているのだが、途中からいきなり他の楽器が入ってくる。クラリネットやコルネット、フィドル、伴奏ピアノなどが入ると曲の感じがガラッと変わる。

そんなラグタイム〜初期ジャズのような音はジミー・ロジャーズが未来に与えていく影響力の強さを感じずにはいられない。また、確証はないが、この曲は「ブルー・ヨーデルNo.7」だとも言われている。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「Frankie And Johnny (1929年)」

伝統的なトラッドソング。終始ギターとヴォーカルのみでジミーらしく仕上げている。

重要度 2.5
知名度 3.0
ルーツ度 2.5
好み 2.5
総合 2.5

 

 

 

「My Blue-Eyed Jane(1930年)」

1997年に出されたジミー・ロジャーズのトリビュート・アルバムで、ボブ・ディランが取り上げていた曲。

そして注目すべきは、こちらはいきなりのバンド演奏で驚かされることだ。しかもほぼディキシー・ランドジャズのような楽器構成。ボブ・ソーヤーというピアニストのバンドで、当時はかなり活躍していたらしい。ホーン・セクションがいい感じで絡んできている一風変わった曲である。

重要度 3.0
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.0

 

 

 

「Mule Skinner Blues:Blue Yodel No.8(1930年)」

ブルー・ヨーデル8番。軽快なギターリフから始まるノリのいい曲。後にビル・モンローがブルーグラスバージョンでリバイバルしたこともあって、カントリー界においても代表的な曲となった。ドリー・パートンやザ・フェンダーメン、その他大勢がカバーしている。

重要度 3.5
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「In The JailHouse No. 2(1930年)」

この曲は1928年に初回録音をしていて、これは別バージョンであるが僕はこっちの方が好きなので上げておきたい。ジョニー・キャッシュもカバーしている。

重要度 2.5
知名度 3.0
ルーツ度 2.5
好み 3.5
総合 3.0

 

 

 

「Standing On The Corner:Blue Yodel No.9(1930年)」

これもとても重要な曲。サッチモことルイ・アームストロングとその妻のリル・ハーディンがピアノで参加しており、歴史的な録音となったからである。動画に寄せられているコメントにも書かれているように、ジミーがカントリーを奏で、サッチモがジャズを乗せ、リルがブルースを弾くというように、それらがクロスオーバーしたような曲に仕上がっている。

後のアメリカ音楽界にとっても、非常に価値のある一曲になっているのは間違いない。

重要度 4.5
知名度 3.5
ルーツ度 4.0
好み 4.0
総合 4.0

 

 

 

「Why There’s A Tear In My Eye(1931年)」

こちらはカーター・ファミリーのサラ・カーターとメイベル・カーターとのセッション。ジミーとサラの終始続くコーラスデュエットとそれを引き立てるメイベルのギターによるバッキングがとてもいい。これも貴重な音源である。

重要度 4.0
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

 

「The Wonderful City(1931年)」

もういっちょカーター・ファミリーとのセッション。この曲でもサラ・カーターとのハモリが素晴らしい。サラのヨーデルが聴ける貴重な一曲である。

重要度 4.0
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「Jimmie Rodgers Visits The Carter Family(1931年)」

とどめはこれ。ジミー・ロジャーズとカーター・ファミリーの会話とセッションのやり取りが聴けるとても貴重な音源である。ちょっとしたミュージカル・コントみたいで皆んな楽しそう。

しかしよくこんなものが記録として残されていたと思うくらいで、ラルフ・ピアを筆頭に当時のスタッフにも感謝しかない。

重要度 4.5
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

 

「Southern Cannonball(1931年)」

個人的にとても好きな曲。ちょっと浮ついた感じで歌うジミーの声が良くて、聴いている方も気分が高まってくる。

重要度 2.5
知名度 2.5
ルーツ度 2.5
好み 4.0
総合 3.0

 

 

 

「Mississippi Moon(1932年)」

1932年録音。晩年に差し掛かってきたところで演奏も落ち着いてきているようだ。この曲ではバックに音は控えめだがハワイアンなスライド・ギターが入っている。ヴォーカルラインとユニゾンしているようなのだが、最近はこういうのもほとんどないのでかえって新鮮。

重要度 2.5
知名度 2.5
ルーツ度 3.0
好み 3.0
総合 3.0

 

 

 

「Mother, The Queen Of My Heart (1932年)」

最近のアメリカではこのような古き良きオールドタイミーなカントリー・ソングはもう聴いていないのかと思いきや、ネット上の投稿やコメントなどを見ていると、特に田舎の方では親から子へ伝え、またその子へ伝えて一緒に歌ったり、小さい子供には子守唄にしたりと、脈々と受け継がれているようでホッとする。そして、やがて彼らにとってはノスタルジックな曲へとなっていく。

また、この時のレコーディングでは、フィドルやバンジョーが入れられているので、よりカントリーっぽくなっているのもいい。

重要度 2.5
知名度 2.0
ルーツ度 4.0
好み 3.5
総合 3.0

 

 

 

「Peach Picking Time Down In Georgia(1932年)」

大好きな曲である。この曲はジミー・ロジャーズの中でも人気曲で、聴いていると日本人であるにもかかわらずなんか郷愁を感じてしまう人も多いようだ。まあ、考えてみたら昭和7年の曲だから世界大恐慌の少し後の録音で相当古いのだが、日本だと「東京音頭」や「満州行進曲」がリリースされた年。しかし不思議とジミーの曲は今でもさほど違和感なしに聴ける。アメリカの底力といったところだろうか。

歌詞の内容はジミー本人もそうだったが、ホーボー(放浪者)がディキシー(南部諸州)を渡り歩いた思い出を懐かしみながら歌うラブソング。フィドルとバンジョーがいい味を出している。

重要度 3.0
知名度 4.0
ルーツ度 3.5
好み 4.0
総合 3.5

 

 

 

「Miss the Mississippi and You(1932年)」

これも大好きな曲。カバーしているミュージシャンも多く、とても人気の高い曲である。一番好きな曲だと言う人も多いくらいの名曲である。

ジミー・ロジャーズはミシシッピの出身であるが、これを録音したのは売出し中で忙しい頃で、大都会ニューヨークで録られている。そしてこの歌はそんな状況の中で、都会から故郷のミシシッピとそこへ残してきた愛する人を想う歌なのである。

重要度 3.0
知名度 4.0
ルーツ度 3.0
好み 4.0
総合 3.5

 

 

 

「Years Ago(1933年)」

代表的な曲の最後を飾るのは、やっぱりこのラストテイクにしたい。

このレコーディング時、ジミーはもう結核の症状がひどくてギリギリであった。にもかかわらず、なんと淡々と録っているように聴こえる。近くにはベッドと看護師を常駐させた状態でなんとか録り終えたようであるが、その二日後には息を引き取ってしまう。

恐らく死が自分に近づいていることを悟り、いかに限界の状態であっても、なんとか録音することをミッションに最後の力を振り絞ったのだろう。何度聴いても、なんともいえない寂しさがこの曲からは伝わってくる。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 2.5
好み 3.5
総合 3.0

 

 

 

その他の代表曲

・「Sleep,Baby,Sleep(1927年)」

・「My Little Lady(1928年)」

・「Dear Old Sunny South by the Sea(1928年)」

・「Treatures Untold(1928年)」

・「Never No MO’ Blues(1929年)」

・「Hobo Bill’s Last Ride(1929年)」

・「Moonlight and Skies(1930年)」

・「The One Rose(1930年)」

・「Jimmie the Kid(1931年)」

・「Roll Along Kentucky Moon(1932年)」

・「Mother,Queen of My Heart(1932年)」

・「Somewhere Down Below the Dixon Line(1933年)」

 

 

 

 

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