Roy Acuff (ロイ・エイカフ)

”キング・オブ・カントリー” ロイ・エイカフ

フィドリン・ジョン・カーソンカーター・ファミリージミー・ロジャーズ等のマウンテン・ミュージックを第一世代とするなら、このロイ・エイカフはそれに続く第二世代の先駆者である。

”キング・オブ・カントリー”と呼ばれ、いち早く自身でシンガー・スターとなり、その後のカントリー・ミュージック界の主流を築き上げた重要な人物だ。かのハンク・ウィリアムズがリスペクトしていたことでも有名。

 

初期(1932年〜1950年)

元々父親がフィドル奏者だった影響からロイ・エイカフもフィドルを始めた。

1932年、30歳になろうかという頃にアパラチア方面でメディスンショーの行商を始め、そこでエンターテイメントの経験を積む。

その後32歳でクレイジー・テネシアンズという名でバンド活動を始める。バンドは「グランド・オール・オープリー」のオーディションを受け、どんどん知名度も上がっていった。

1938年にはデビュー・シングルとなる「The Great Speckled Bird」をリリース。この曲はデビュー曲でありながらも、その後のロイの代表曲となり、また多くのミュージシャンにもカバーされるようなカントリー・スタンダードにもなった。

 

「Great Speckled Bird(1938年)」

初期カントリー・ミュージックの一つの特徴であるのが、この曲のようなリゾネーター(ドブロ)・ギターのスライド奏法である。ハワイアンの影響を受けており、ギターを寝かして金属バーなんかで弦の上を滑らす奏法である。ヴィブラート(揺らす)ように弾くのがポイントであるが、この奏法は以後のカントリーに大きな影響を及ぼしている。

この時にクレイジー・テネシアンズ名義でもう1曲シングルを出している。

重要度 4.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.5

 

 

 

「Steel Guitar Blues(1938年)」

2曲ともにレコーディングは1937年でリリースが1938年のようである。

確かに「The Great Speckled Bird」はその後のカントリー・ミュージックの土台を作ったという意味では凄い曲であるというのはわかるのだが、なぜかこの「Steel Guitar Blues」があまり評価されていない気がするのは僕だけだろうか?

曲を聴いてもらうとわかるのだが、カントリーではあるがかなりブルースっぽいのがわかる。まるでマウンテン・ミュージックやヒルビリーと呼ばれていた頃のような音だ。そう、ジミー・ロジャーズの曲のような感じである。ずっと聴いていくと、その後のR&Rのような要素もあるのがわかる。

何が言いたいかというと、この曲も「The Great Speckled Bird」に負けず劣らずインパクトのある曲なのに、なぜかあまり評価されていないのがどうも納得いかないのだ。誰かその理由をご存知の方はおられるだろうか?とにかく僕としては当然のごとく、ここでは取り上げることにした。

重要度 4.0
知名度 2.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「Wabash Cannonball(1942)」

この曲はカーター・ファミリーのところでも上げているように、原曲はアメリカの伝統的なホーボーソングである。音の吹き込みはカーター・ファミリーの方が早かったが、現在のカントリーに影響を及ぼしているのはこのロイ・エイカフのバージョンの方だろう。実際売上げでは驚異的な数字を叩き出している。

また、今までに公式で80組以上のミュージシャンがカバーとして取り上げている、いわゆるモンスター曲の一つである。今でもグランド・オール・オープリーで演奏されるくらいのスタンダードナンバーでもある。

さらにロイと、クレイジー・テネシアンズから改名した「スモーキー・マウンテン・ボーイズ」の1942年に出したシングルにおいては、その後全世界で累計1000万枚を売り上げており、シングル売上げ歴代トップ40に入っている。

これがどのくらい凄いかというと、ビートルズの「Hey Jude」(800万枚)やポール・アンカの「Diana」(900万枚)という超世界的な曲の売上げを上回っているのだ。

間違いなくロイ・エイカフの代表曲であり、彼をカントリー界のスターダムにのし上げた歴史的な曲である。

重要度 4.0
知名度 4.5
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 4.0

 

ロイ・エイカフは「グランド・オール・オープリ」のオーディションに受かって、自分のバンドであるスモーキー・マウンテン・ボーイズを伴ってどんどん出演するようになっていった。

そんな折、昔メディスンショーで培ったエンターテイメント力を活かして司会をやって人気が出て、さらにその後は映画にも度々主演した。

このあたりからミュージシャンだけでなく、俳優など多才ぶりを発揮していくことになる。

 

「Fireball Mail(1942年)」

司会や俳優などをやり始めた頃に出したシングル曲。個人的には好きな曲である。ビーチャー・カービーのリゾネーター(ドブロ)ギターが効いててカッコいい。かなりブルー・グラスに近い音になっている。

重要度 3.0
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 4.0
総合 3.5

 

しかしロイの凄いところはそれだけではなく、グランド・オール・オープリーのプロモーターとしてビジネスを経験した後に、作曲家のフレッド・ローズという人物と出版会社を設立してしまったところにある。その名も「エイカフ=ローズ・ミュージック」。

ローズもかなりのやり手で、会社はしばらくしてカントリー出版界の最大手となった。

「エイカフ=ローズ・ミュージック」はテネシー州ナッシュビルを基盤として、ハンク・ウィリアムズ、パティ・ペイジ、ロイ・オービソン、エヴァリー・ブラザーズなどと契約をしてスターを輩出していった。
そして、「グランド・オール・オープリー」とともに、ナッシュビルをカントリー・ミュージックの町にすべく足掛かりを作り上げたのである。
その後、ロイ自身もスター歌手として、数曲シングルを出す。

「Wreck On the Highway(1943年)」

ハイウェイでの交通事故の歌。誰にでも遭遇する可能性のあるとても悲しい結末についてどうしようもないといった曲。後にブルース・スプリングスティーンがこの曲からヒントを得て、同じ曲名を発表した。歌詞の内容は異なってアレンジされている。

重要度 2.5
知名度 3.5
ルーツ度 3.5
好み 3.0
総合 3.0

 

 

「Night Train to Memphis(1944年)」

この頃のアメリカの歌には鉄道についてのものが多いが、遠距離を想う歌詞も多い。〜hundred miles とか、愛する人が離れていて寂しい、会いたいみたいなものがフォークソングでもよくある。この〜train to 場所のような題の曲も多く、ほとんどが同じように列車を待ち焦がれるようなものなのだろうか。

この「Night Train to Memphis」は、どこか遠くの地方?都市?から夜行列車に乗ってメンフィスまで会いに来てくれる恋人に向けての歌のようだ。もう歌詞からは会いたくて会いたくてしょうがないといった気持ちがとても伝わってくる。

また、この曲名は後に映画のタイトルにもなった。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 3.5
好み 3.5
総合 3.5

 

 

 

「Blue Eyes Crying In The Rain(1945年)」

この曲はビジネス・パートナーであるフレッド・ローズの曲をロイ・エイカフが歌ったオリジナル作品。

後にたくさんのミュージシャンにカバーされてスタンダードナンバーとなる。最大のヒットはウィリー・ネルソンのもので、邦題で「雨の別離」とついているくらいだから日本でもそこそこ売れたのかもしれない。ちなみにあのエルヴィス・プレスリーもカバーしている。

重要度 3.0
知名度 3.5
ルーツ度 3.0
好み 2.5
総合 3.0

 

 

 

「That Glory Bound Train(1946年)」

とても好きな曲。あまりロイの代表曲としては馴染みが薄いかもしれないが、単純にカッコいいから好きである。特にアコーディオンと、ゴスペルのようなコーラスワークが曲に厚みを作っていてノリもある。ちょうどケイジャンやザディコに近い感じだ。

また、この頃はもうエレキギターが使われ始めているようで、そのミュートとリヴァーブをかけた弾き方が50’(フィフティーズ)っぽいギターの音になっていて最高。

重要度 3.0
知名度 2.5
ルーツ度 3.5
好み 4.5
総合 3.5

 

 

 

「Freight Train Blues(1947年)」

映像はシカゴのWGNテレビ局の番組から。ブギウギ・ブルースのようなリズム感があってやたらと賑やかな曲。原曲はジョン・レアというプロモーターが作った、またまた列車に関するものだ。

ジミー・ロジャーズがやっていたように列車の汽笛の音を声で出したり、ハーモニカの音がなんとも列車感を出していてgood!

重要度 3.0
知名度 2.5
ルーツ度 4.0
好み 4.0
総合 3.5

 

ところで、グランド・オール・オープリーの司会もやっていたロイであったが、この時期にマネジメント側と揉めて降板している。しかしエイカフ=ローズ・ミュージックの方は順調で、ハンク・ウィリアムズを売り出しにかかっていた。また、この頃から政治活動にも参加し出すようになった。

 

 

「Tennessee Waltz(1949年)」

ピー・ウィー・キングとレッド・スチュワート共作の名曲「テネシー・ワルツ」。あまりにも有名なこの曲はテネシー州の州歌ともなった。

この曲は日本でも江利チエミがカバーをして大ヒットした。ロイもやはりやっていたので、ここでは取り上げてみた。

重要度 3.0
知名度 5.0
ルーツ度 4.0
好み 2.5
総合 3.5

 

 

後期(1951年〜)

「Once More(1958年)」

リリースは1958年だけど、この動画はおそらく10年ほど後に、当時人気だった「ウィルバーン・ブラザーズ」のテレビ番組に出演した時のもの。ドブロギターの名手バッシュフル・オズワルドとの共演模様だ。オズワルドのコーラスもかなりハマっていて良い。

重要度 3.0
知名度 3.0
ルーツ度 2.5
好み 3.0
総合 3.0

 

それからこの少し前にロイ・エイカフはジミー・ロジャーズ、ハンク・ウィリアムズとともに”カントリー・ミュージック殿堂入り”を果たしている。
また、1964年には来日も果たしている。

 

1960年〜1970年ぐらいまではツアーがメインの活動だったが、交通事故があったりと、なかなか思ったように音楽活動ができなかった。次第に人気も下がっていった。

しかしそんな中、フォーク・リバイバルが来て、また少し人気が再燃してきて、この頃ニッティー・グリッティー・ダート・バンドとも活動をしてロイ・エイカフの存在感を見せた。

 

 

「Back In The Country(1974年)」

最後はこの曲で締めたい。1974年リリースのこの曲はとてもキャッチーだが、どこかノスタルジーを感じるとてもいい曲だ。楽器構成も増えており、全体で音の層が厚くなっている。何かのイベントなんかで終わりの方で皆んな大合唱したい。そんな曲である。

重要度 3.5
知名度 3.0
ルーツ度 3.0
好み 4.5
総合 3.5

 

 

 

 

 

 

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