ブルース(Blues)


※(はじめに):
ブルースの発音や表記について
英語ではBLUES=ブルーズであるが、日本で聞いて育ったのがブルースであり、どうしてもブルーズだと違和感があるため、このサイトではブルースにさせてもらうことにする。

 

 

目次

大衆音楽の原点であるブルース

ルーツ・ミュージック、いや今の世の中のポップ・ミュージックに至るまで、この現代の大衆音楽というものは、「ブルース」がなければ生まれて来なかったといっても言い過ぎではない。

過去の文献や記録などからもそれはハッキリしていて、ジャズやロックンロール、さらにロックにおいても生まれていない。極めて重要なジャンルと言える。

 

ブルースの起源

「ブルース」の起源は、奴隷として連れてこられたアフリカンアメリカンの黒人によって作られたワークソングフィールドハラーといった労働歌と、ヨーロッパからアメリカへ入植してきたアイルランドやスコットランドの白人たちが持ってきたバラッドが融合されてできたものと言われている。

ここで少し意外に思う人がいるかもしれない。

「ブルースは白人に迫害されてできた黒人の音楽じゃないのか?」と。

僕も最初はそう思っていた。

でも調べていくとバラッドをアメリカへ持ち込んできたのは、19世紀にヨーロッパの本国で大飢饉があって本国を追い出されてきたアイルランド系の移民であって、彼らもまた、元々アメリカに入植して独立戦争を勝ち取っていたアングロサクソン系の移民により、差別を受けていたのである。そしてアパラチアの方へ逃げ込むしかなかった。

そして、南北戦争が終わってからは奴隷制が廃止されたものの、黒人たちも差別を受け続け、実質は低賃金で奴隷のような生活を余儀なくされていた。

その頃、ちょうどゴールドラッシュに沸くアメリカでは、低賃金で雇われる仕事として炭坑や鉄道の仕事が多かった。

そして、そこで共に差別を受けていたアパラチアのアイルランド系移民と黒人たちが出逢うことになる。低賃金労働の労いの鉄板である、お互いのワークソングなどで交流を深めながら、共に吸収していったのであろう。

黒人たちのリズムの中に、バラッドの物語や主人公の独白といったものが取り込まれていく。そうやってブルースの原型ができていったようである。

実際にブルースという形で世に出されたのは20世紀に入ってからのことである。(後に記述:W.C.ハンディ)

 

反対に、白人のアイルランド系移民の方はどんな影響を受けたのであろう?

バンジョーという楽器がある。よくカントリー系の音楽やブルーグラス、ディキシーランドジャズなんかで使っている弦楽器だ。
実はそのバンジョーは元々アフリカの楽器である。

つまり、白人たちのバラッドからアパラチアン・ミュージックを経てカントリー・ミュージックに至る間に、ちゃんとアフリカ系黒人の影響を受けて取り込んでいたのである。

面白いのは、そのバンジョーはさらに逆流して、アイリッシュやケルト音楽にも使われるようになったということだ。

 

ブルース誕生からの流れ

 

このように、音楽というものは本当に歴史や地理的条件などの影響を受けている。

ブルースだけではなく、大衆音楽は黒人がいなければ存在していなかったものである。皮肉にも歴史的な差別があって、生み出された音楽であって、それらがとてつもないエネルギーを持っているのは当然なのかもしれない。

そして、20世紀に再度ブルース・ミュージックとカントリー・ミュージックが融合されていって、R&R(ロックンロール)ができ、さらにロックへと進化していくのである。

その後はあなたもご存知のようにロックから派生して現代のポップ・ミュージックができ、さらにDTM(デスクトップ・ミュージック)などのデジタル的な音楽とがミックスされたものが現在の主流となっている。

つまり、ルーツ・ミュージックにおいてはもちろん、大衆音楽という巨大なくくりにおいても、「ブルース」は絶対に外すことはできない。

特にリズムにおいての影響力は計り知れない。

初期の音源を聴くと、おぞましいと感じるぐらいの黒人たちのリズムや、やるせない歌声が聴こえてきて、こっちの気分まで参ってしまいそうになるものもあるが、それも含めて、敬意を持って聴くべきだと僕は思っている。

しかし不思議なことに、いろんなブルースマンの演奏を聴いていると、深い沼のようにどんどんと惹き込まれていき、演者によっても違いがあることがわかり、とても奥深く魅力的な世界であることに気付かされる。

 

ブルースの発見(W.C.ハンディ)

”ブルースの父”と呼ばれるW.C.ハンディと呼ばれる人物がいる。

当時(1900年頃)の黒人としては比較的裕福な暮らしをしていた。

彼は「ブルース」という音楽を編み出したワケではないが、世の中に知らしめた人物として重要なのである。

 

とある有名な話がある。

1903年、ハンディはミシシッピ州のデルタ地帯にあるタトワイラーという駅で列車が来るのを待っていた。

すると、自分とは対象的なボロを身にまとった黒人が、ナイフをギターの上でスライドさせて、何やら聞いたこともない奇妙な呻きのような歌を口ずさんでいる光景に遭遇した。

「サザンとイエロードッグの交差するところへ行こう」と繰り返していたという。

すぐさまその様子を記録したハンディは、後に「ブルース」という形で世に出すのであるが、そのきっかけとなる衝撃的な事件となったのである。


ブルースの起源については諸説あるので、ここではどれが正しいとかそういったことは論じないが、その後に多くのビッグなジャズ・ミュージシャンたちがカバーしたことでも有名なこの曲については押さえておかなくてはならない。

・【W.C.ハンディ】が起譜したブルースと名の付いた名曲である。

「St. Louis Blues (1914)」

ハンディは元々この曲をブルーノート(ブルースで使われる音階)を使い、ブルースとして公表しているが、後に他のジャズ・ミュージシャンに気に入られ、ジャズのスタンダードナンバーとなっている。

確かに、曲調としてはブルースというよりはジャズであるが・・・

 

 

ブルースの変遷とミュージシャンたち

さて、ここからはブルースをもっと詳しく見ていこうと思う。

W.C.ハンディが「St. Louis Blues」を世にリリースしたのが1914年。そこから本格的にブルースの曲がリリースされ始めて、どんどんグッドなミュージシャンがたくさん登場する。

このサイトでは、ブルースが盛り上がった場所、年代、形態によって細分化して、その中でも特に影響力があって凄いと思うブルースマンについては個別に記事を作っていくことにしたい。

 

クラシック・ブルース(シティ・ブルース)

クラシック・ブルースは大きな括りでは「戦前ブルース」に入るかと思うが、ここでは「戦前ブルース」を、後に書く「カントリー・ブルース」と同義としているので分けておきたい。先程のW.C.ハンディもここに含まれる。

1920年代の初期のブルースを最も早く録音化したのがこのクラシック・ブルースである。女性のシンガーが多く、そのほとんどはジャズの影響を受けており、ビッグバンドなどをバックに寄席上がりのヴォーカルスタイルを見せる。

彼女たちはそのようなブルースとジャズを混合したようなヴォーカルの先駆者たちであるが、やがて1930年代にはジャズ・ヴォーカルというスタイルへ変わっていく。

また、後述のカントリー・ブルースが南部の各地方で広まっていったのに対して、北部の大都市(シカゴなど)でピアノとギターをメインの楽器として洗練されていったのがシティ・ブルースである。これは後にエレクトリックなサウンドを取り込んでシカゴ・ブルースへと発展していく土台となった。

 

・【Mamie Smith(メイミー・スミス)】

この曲は女性が音源として記録した最古のものだと言われている貴重なものだが、ブルースというよりはラグタイムやジャズに近く、カントリー・ブルースより古典的なブルースと言える。

そして、これも重要な話だが、「カントリー・ミュージック」において初期音源の録音に成功したラルフ・ピアという天才発掘者兼プロデューサーが、このCrazy Bluesにおいて「ブルース」での初期音源にも成功したということである。

「Crazy Blues(1920年)」

ホーンセクションもあって、弾き語りのカントリー・ブルースと比べるとにぎやかで明るい。

19世紀のヴォードヴィルなどのショー的な要素が多く、カントリー・ブルースほどの鬱さはあまりない。また、この頃は女性の素晴らしいヴォーカリストが多く、有名なのも女性たちである。

 

※以下《ミュージシャン名》はクリックすると個別ページあります。

 

・【Ma Rainey(マ・レイニー)
・【Bessie Smith(ベッシー・スミス)
・【Alberta Hunter(アルバータ・ハンター)
・【Ethel Waters(エセル・ウォーターズ)】
・【Leroy Carr(リロイ・カー)】
・【Lonnie Johnson(ロニー・ジョンソン)】

 

その他のミュージシャン

・【Papa Charlie Jackson(パパ・チャーリー・ジャクソン)
・【Coot Grant (クート・グラント)
・【Clara Smith(クララ・スミス)】
・【Trixie Smith(トリクシー・スミス)】
・【Ida Cox(アイダ・コックス)】
・【Lucille Bogan(ルシル・ボーガン)】
・【Sippie Wallace(シッピー・ウォレス)】
・【Madlyn Davis(マドリン・デイヴィス)】

 

 

カントリー・ブルース(戦前ブルース)

「カントリー・ブルース」とは、「戦前ブルース」とも呼ばれているが、ここでは主に第二次世界大戦前の1920年頃〜1945年頃に録音されたブルースで、特徴としてはギターなどの伴奏に合わせて歌い手が日常の個人的なことを歌い上げるスタイルである。

主にその地域で大きく〈ミシシッピ・デルタ〉〈テキサス〉〈イースト・コースト〉の3つに分かれるのが定説であるが、ここではブルースもやはり時代的にクロスオーバーしているため、ミンストレルやソングスターの要素もある〈メンフィス・ブルース〉や、カントリーやジャズのテイストも加味した後のスキッフルのような〈ジャグ・バンド〉も重要なのでここで取り上げたいと思う。

さらに、この当時では他ジャンルの影響を受けて、ラグタイムやカントリー、ゴスペル、ジャズ、フォークなどを広く浅く取り入れているブルースマンも結構多いので、あえて〈その他カントリー・ブルース〉と分けておきたい。

 

 

ミシシッピ・デルタ・ブルース

・【Charley Patton(チャーリー・パットン)
・【Bo Carter(ボー・カーター)
・【Son House(サン・ハウス)
・【Bukka White(ブッカ・ホワイト)】
・【Skip James(スキップ・ジェイムス)】
・【Robert Johnson(ロバート・ジョンソン)

 

 

その他のミュージシャン

・【Bo Weavil Jackson(ボー・ウィーヴィル・ジャクソン)

 

・【Freddie Spruell(フレディ・スプルエル)】
・【Tommy Johnson(トミー・ジョンソン) 】

 

 

 

テキサス・ブルース

19世紀の終わり頃から20世紀にかけてミシシッピ・デルタで発祥したブルースという音楽は、自然と周囲の地域にも拡がっていった。

ミシシッピ川を超えて西の方へもどんどんと拡がっていく。アーカンソー州やルイジアナ州を超えたその先にはテキサス州があった。

元来とても大きな州でフロリダ州とともにアメリカの最南端に位置するテキサス州はメキシコとの国境にあり、メキシコ湾に面しておりカリブとの接点であった。北西部にはカウボーイも多く、東部からはフランスなどのヨーロッパの息がかかったニューオリンズの影響が強かった。

つまり、一国ぐらいの大きさがあるテキサス州はいろんな人種や文化の影響をごった煮にしたような地域だったのである。

そんなところへブルースが入り込んできた。

テキサス・ブルースはそんな地域的な特徴もあって、音楽的にいろんなものが入り混じっているところがある。ただ、本筋として通っているのが”武骨でワイルドで誇り高いスタイル”といった少々精神的なものが強い。

1929年の大恐慌以来、ニューオリンズやミシシッピのアフリカ系アメリカ人はミシシッピ川を北上してシカゴへ向かった。そして同じ頃テキサスからはカリフォルニアを目指したのである。

そんな特殊な土地柄で誕生したブルースマンも変わり種が多い。

それぞれが独特のスタイルを持ち、後のブルースマンやミュージシャンたちに多大な影響を与えているが、特にギターでの個性的なプレイスタイルを作り上げたレジェンドたちが多いのがこのテキサス・ブルースの凄さである。

その血を受け継いだ、1970年以降の白人ブルースの代表格とも言われるジョニー・ウィンターやスティーヴィー・レイ・ヴォーンといったヒーローを生み出したのもこのテキサスなのである。

 

 

その他のミュージシャン

・【Texas Alexander(テキサス・アレクサンダー)】
・【Henry Thomas(ヘンリー・トーマス)

 

 

 

 

イーストコースト・ブルース

戦前にアメリカのアパラチア山脈東南部のアラバマ州やジョージア州あたりから北東のニューヨークあたりまでの一帯で出てきたブルースをピードモント・ブルースやピエモンテ・ブルースなどと呼ぶが、ここでは全部ひっくるめて”イーストコースト(東海岸)・ブルース”ということにしたい。

その特徴を簡単にいうと、ミシシッピ・デルタやテキサスとは違い、あまりドロドロしていなくて明るめで踊ったり出来るようなものが多い。言葉では表現しにくいが、ラグタイムやミンストレル・ショー、フォークやカントリーなどの影響もあって、コッテリしたブルースとは異なるのである。

なぜそうなのかと言えば、アパラチアに近いためマウンテン・ミュージックやオールドタイムの影響があり、東海岸の都市部は白人が多く、そんな白人相手にパーティで演奏したり、互いに影響し合っていたこともあって、アフリカ系アメリカ人がそこへブルースをミックスさせることで、独特のイーストコースト・ブルースが出てきたというのが通説である。


(出典:Jack Delano

そんな白人たちの影響もあって、ラグタイムやストリング・バンドに近いような曲も多い。スタイルは基本的にカントリー・ブルースを踏襲しているのでギターとヴォーカルが基本ではあるが、そこにバンジョーやフィドル、マンドリンが入ったりもする。また、ギターのピッキングはオルタネイト・ピッキングが多く、ベース音を飛び飛びで弾くパターンがこのイースト・コーストではよく見られる。

 

・【Blind Blake(ブラインド・ブレイク)
・【Reverend Gary Davis(レヴァランド・ゲイリー・デイヴィス)】
・【Blind Willie McTell(ブラインド・ウィリー・マクテル)】
・【Blind Boy Fuller(ブラインド・ボーイ・フラー)

 

その他のミュージシャン

・【Peg Leg Howell(ペグ・レグ・ハウエル)

 

・【Ed Andrews(エド・アンドリュース)】
・【Frank Hutchison(フランク・ハッチソン)】
・【Barbecue Bob(バーベキュー・ボブ)】
・【Sonny Terry(ソニー・テリー)】
・【Josh White (ジョシュ・ホワイト)】
・【Brownie McGhee(ブラウニー・マギー)】
・【Buddy Moss(バディ・モス)】

 

 

 

メンフィス・ブルース

ブルースの聖地とも呼ばれる街、テネシー州メンフィス。ブルースのことを深く掘っていったことのある人には、ブルースがミシシッピ州のタットワイラー駅でW.C.ハンディが最初に奇妙なスライド・ギターの音を聞いたのが始まりだとか、細かな違いはあれ、ミシシッピ・デルタがその起源だということを知っているだろう。

でも一般的には、かの”メンフィス”が聖地で、しかも「発祥の地」だというキャッチフレーズをよく耳にする。

誤解の無いように言っておくと、もちろんメンフィスはブルースにとって重要な街である。それはメンフィスが都会であること。また、ミシシッピ川に隣接していて、昔からアメリカの南部から北部の人間がたくさん行き来していたように地理的に優れていることによって、自然発生的に音楽も集まったということからいろんな音楽が生まれていった、ルーツ・ミュージックにとっても最重要な街なのである。

W.C.ハンディが1912年に「メンフィス・ブルース」という曲を作ったり、戦後のモダン・ブルースの立役者としてハウリンウルフやB.B.キングがメンフィスのサン・レコードから売り出したりしたことも関係しているだろう。

だからメンフィスから世界に発信し始めた音楽も多く、都会なのでミュージシャンの数も多いため、商業的に有利なこともあってブルースはメンフィスの一大産業になっているという背景もある。

 

しかしここで取りあげるのは、そんな一大ジャンルとしての”ブルース”ではなく、20世紀の前半にメンフィスのビールストリートを中心にムーブメントが起きていたブルースのことである。それはヴォードヴィルやメディスンショーなどの寄席演芸に近いところから発生してきたブルースである。

※広い意味ではケンタッキーのルイヴィルから流れてきたジャグ・バンドもメンフィスで流行ったこともあり、メンフィス・ブルースの中に入れられる。

その特徴としては、デルタ・ブルースやテキサス・ブルースとは違って、寄席でやっていたこともあってラグタイムやフォークソングなどのメロディアスな曲調が多い。イーストコースト・ブルースに近い感じではあるが、あまりドロドロしておらず踊れるようなものもある。

代表的なミュージシャンはそんなに多くないが、個人的にフランク・ストークスが大好きで、カントリー・ブルースマンのランキングでも上位に入りそうだ。

 

・【Frank Stokes(フランク・ストークス)
・【Memphis Minnie (メンフィス・ミニー)】
・【Sleepy John Estes(スリーピー・ジョン・エステス) 】
・【Furry Lewis(ファーリー・ルイス)】
その他のミュージシャン
・【Jim Jackson(ジム・ジャクソン)

 

・【Dan Sane(ダン・セイン)】
・【Robert Wilkins(ロバート・ウィルキンス)】

 

 

 

ジャグ・バンド(Jug Band)

19世紀後半に生まれ、20世紀始めにかけてアメリカ合衆国のケンタッキー州ルイビルを中心に南部でムーブメントを起こしたジャグ・バンド。そのルーツはヴォードヴィルやミンストレル・ショーにあると言われる。

「ジャグ」とはウィスキーの瓶などを使って、そこへ息を吹き込んで低音のボーッというベースのような音を出す楽器にしたもので、元々はそれを使ったバンドのことを「ジャグ・バンド」と呼んでいた。しかし、後にはジャグを使わずに身の回りのものを使って楽器にして演奏するスタイルのことをジャグ・バンドと言うようになった。

代表的な楽器にはジャグ、ウォッシュボード、ウォッシュタブ・ベース、カズー、ミュージカルソーなどがある。初期の頃はそこにバンジョーやフィドルが乗っかる。

しかし、レコーディング技術が進歩したのが1920年代なので、それより前の音源等はほとんど残っていない。そういう事情もあって、最も早く記録されたものでも1924年らしい。

映像の方はどうかというと、珍しいBufordThrelkeld(Whistler)というギタリストのジャグ・バンドの映像が残っているのでぜひ観て頂きたい。大恐慌後の1930年に録られた動画のようだが、とても貴重だ。

⭕「Whistler’s Jug Band 1930 RESTORED SOUND」

 

また、ジャグ・バンドの流行はメンフィスでも起こり、有名なガス・キャノンを中心に1930年代までそのブームは続いたが、その後しばらく失速した。

しかし1960年代に「フォーク・リバイバル」が起きて、特に若い白人層からジャグ・バンドを見直されるようになった。また、その動きはイギリスで『スキッフル・ブーム』という形で巻き起こった。

以下はジャグ・バンドで活躍した音源の残っているミュージシャンとしてご紹介したいと思う。

 

・【Earl McDonald(アール・マクドナルド)】

※下記《その他のミュージシャン欄へ》

・【Memphis Jug Band(メンフィス・ジャグ・バンド)】
・【Gus Cannon(ガス・キャノン)
その他のミュージシャン

・【Earl McDonald(アール・マクドナルド)

・【 Jack Kelly & His South Memphis Jug Band(ジャック・ケリー・アンド・ヒズ・サウス・メンフィス・ジャグ・バンド)】

 

 

ブギウギ

ブギウギはその活発化した時期と人気が出た時期から戦前ブルース(1945年以前)に入るが、ブルースの中でも後のモダン・ブルースやジャンプ・ブルース、R&BやR&Rに繋がる意味でとても重要なジャンルの一つである。

ブギウギを聞くとわかるが、ピアノの伴奏がメインで跳ねたような8分音符のリズムが多い。これは元々が聴くための音楽ではなく、踊るように作られたものだからである。遡ればやはりアフリカということになる。西アフリカでは踊ることを”ボギ”と発音していたらしい。

そんなアフリカ系アメリカ人たちが、南部の地方の安酒場で演奏しながら朝まで踊るための場所を”バレルハウス”と呼び、そんなバレルハウスにはピアノぐらいしか置くスペースがなかった。また、そんな土着感満載で叩き踊るようなピアノ奏法を”バレルハウス・ピアノ”と呼んだ。

その後バレルハウス・ピアノがシティ・ブルースなどの影響を受けながら洗練されていったのが”ブギウギ”である。

音楽として「ブギウギ」という言葉が最初に認識されたのは、テキサス州での材木の伐採場で始まったパーティソングで、鉄道によって全国へ広まっていったという説が強い。最近の話ではあるが、2011年にはテキサス州マーシャルがブギウギ発祥の地として登録された。

それまでに”ブーガ・ルーガ”など、いろんな紆余曲折を経て、今の”boogie-woogie”というスペルに行き着き、最初にタイトルとして出てきたのが1928年のパイントップ・スミスの「Pine Top’s Boogie Woogie」という曲である。

その後1938年と1939年に名プロデューサーのジョン・ハモンドがカーネギーホールで主催したアフリカ系アメリカ人の音楽文化を広く世界に広めるためのイベントである『From Spirituals to Swing』によって、一気にブームが巻き起こる。

そして、その後ブギウギはジャンプ・ブルースに発展し、R&Bへと進化していくのである。

 

・【Pinetop Smith(パイン・トップ・スミス) 】

 

・【Pete Johnson(ピート・ジョンソン )】

・【Meade Lux Lewis(ミード・ルクス・ルイス )】

 

その他のミュージシャン

・【Speckled Red(スペックルド・レッド)

 

 

 

 

その他カントリー・ブルース

・【Mississippi John Hurt(ミシシッピ・ジョン・ハート)
・【Blind Willie Johnson(ブラインド・ウィリー・ジョンソン)】

 

その他のミュージシャン

・【Richard “Rabbit” Brown (リチャード・”ラビット”・ブラウン)
・【Sam Collins(サム・コリンズ)
・【Blind Joe Taggart(ブラインド・ジョー・タガート)】
・【Jaybird Coleman(ジェイバード・コールマン)】
・【Sylvester Weaver(シルベスター・ウィーバー)】

 

 

 

 

モダン・ブルース

俗にモダン・ブルースは、B.B.キングを筆頭とする3大キングをメインに言うことが多いが、ここでは便宜上ブルースの本丸であるシカゴ・ブルースもモダン・ブルースの枠内に入れようと思う。

一般的にブルースと言うと、このモダン・ブルースのイメージが強いのではないかと思う。バンド・スタイルで基本はギター、ベース、ドラム、ヴォーカルで、そこにブルースハープやピアノ、たまに管楽器などが絡んでくる。

よく”ブルース・セッション”などをするときには、このスタイルが多く、だいたい同じパターンを何回か回してその中で歌やソロをみんなで交代しながらやっていくという演奏のやり方である。

そして、使っている楽器もエレクトリックがメインとなる。セッションをしていて盛り上がってくるのも、このエレクトリックな大きな音がそれを助長するし、やっている方も気分が高まってきて楽しいのだ。

今現在もこのモダン・ブルースは世界中にミュージシャンがいて、関わっている人口もかなり多いと思うが、ここでは1940年代ぐらいから本格的に始まったその歴史的な変遷をたどりながら紹介していきたい。

 

アーバン・ブルース

・【T-bone Walker(Tボーン・ウォーカー)】

・【Clarence “Gatemouth” Brown(クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン)】

・【Albert Collins(アルバート・コリンズ)】

 

その他のミュージシャン

 

 

シカゴ・ブルース

1950年頃、シカゴで勃発したエレクトリックなブルースサウンドは、瞬く間にブームを巻き起こし、全米からヨーロッパへと広がっていった。

その火付け人はなんといってもマディ・ウォーターズである。ブルース史上絶対に外せない人物として、これからも永遠に語り継がれることだろう。

ミシシッピのプランテーションからシカゴへ出てきたマディ・ウォーターズであったが、当時は路上で演奏することが多く、最初はアコースティックを使っていたが、より多くの人に聞こえるように手に取ったのがエレキギターで、発電機を使ってアンプで音を増幅させることで、路上でのライブをこなした。

さらにベースやドラム、ピアノ、そしてこれもアンプで増幅させたブルースハープなどをかけ合わせたバンド編成がシカゴ・ブルースというスタイルになっていったのである。

そして、忘れてはならないのが、そんなマディ・ウォーターズの恩人としてすでにシカゴで活躍していたビッグ・ビル・ブルーンジーの存在である。実際彼がシカゴ・ブルースの基盤を作ったということも付け加えておきたい。

 

・【Big Bill Broonzy (ビッグ・ビル・ブルーンジー)
・【Muddy Waters(マディ・ウォーターズ)】
・【Howlin’ Wolf(ハウリン・ウルフ)】

・【LIttle Walter(リトル・ウォルター)】

・【JImmy Rogers(ジミー・ロジャース)】

・【Willie Dixon(ウィリー・ディクソン)】

・【Elmore James(エルモア・ジェイムス)】

・【John Lee Hooker(ジョン・リー・フッカー)】・【Buddy Guy(バディ・ガイ)】

・【Jimmy Reed(ジミー・リード)】


・【Magic Sam(マジック・サム)】・【Otis Rush(オーティス・ラッシュ)】

その他のミュージシャン

・【Sonny Boy Williamson II(サニー・ボーイ・ウィリアムソンII)】

 

 

 

モダン・ブルース

・【B.B.King (B.B.キング)】

・【Albert King (アルバート・キング)】

・【Freddie King(フレディ・キング)】

 

その他のミュージシャン

 

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