G.B. Grayson and Henry Whitter(G.B.グレイソン&ヘンリー・ウィッター)

(出典:Discogsより)

絶妙なコンビネーションのフィドルとギターのデュオ G.B.グレイソン&ヘンリー・ウィッター(G.B. Grayson and Henry Whitter)

G.B.グレイソン&ヘンリー・ウィッターとは

元々ソロでやっていたヘンリー・ウィッター(Henry Whitter)がフィドラーのG.B.グレイソン(G.B.Grayson)と意気投合して組むようになったデュオ。

ヘンリー・ウィッターは1923年からOkehレーベルへレコーディングしており、これはカントリー・ミュージックの歌モノとしては最初の録音と言われている。

2人の曲は、後のミュージシャンたちへも影響が大きく、特にブルーグラスへの貢献が際立つ。

 

曲紹介

ここではユニットとソロで分けて紹介したい。


・【G.B. Grayson and Henry Whitter(G.B.グレイソン&ヘンリー・ウィッター)】

Train 45(1927年)」フィドルとギターとヴォーカル。これだけでも十分に厚みのある音になっている。後のブルーグラスの原型であることがわかるような曲。次のHandsome Mollyと両面のシングルで5万枚以上の大ヒットとなった。


Handsome Molly(1927年)」上のTrain 45とのカップリング。有名なスタンダード曲だが、レコーディングしたのは彼らが最初である。


Rose Conly(1928年)」とても好きな曲である。少し哀愁が漂うのはこの曲が殺人バラードであるのと、元ネタがアイリッシュなのでそんな名残があるからであろうか。フィドルとギターが本当に素晴らしくマッチングしている。


He’s Coming To Us Dead(1928年)」どこかもの哀しさを感じるのは、この曲が戦争によって引き裂かれる家族の心情を歌っているからだ。作ったのはティン・パン・アレーのアフリカ系アメリカ人作曲家であるグジー・デイビス。


Tom Dooley(1929年)」有名な曲。元々はアパラチアン・ソングで彼らが最も早くレコーディングした。そして1958年にキングストン・トリオがカヴァーして世界的に売れて知られるようになり、その後スタンダード曲となった。実際にあった恋人間の殺人についての歌だが、現在もまだ物議を醸しているらしい。


 


・【G.B. Grayson(G.B.グレイソン)】

Ommie Wise(1927年)」G.B.グレイソンのソロ。妊娠中である”ナオミ・ワイズ”という女性が恋人に溺死させられた話を歌った殺人バラッド。


 


・【Henry Whitter(ヘンリー・ウィッター)】

Lonesome Road Blues(1924年)」別名「GoingDownThe Road Feeling Bad」と呼ばれる曲でトラディショナルな民謡である。録音はこのヘンリー・ウィッターのバージョンが最初で、以降も多くのフォーク・ミュージシャンがカヴァーしている。


The Wreck On The Southern Old 97(1924年)」1903年に起きた有名なサザン鉄道の脱線事故の曲。この曲も後にカントリー/フォーク系のスタンダードとなった。そしてこれもまた、ヘンリー・ウィッターが最初の商業レコーディングであるが、前のLonesome Road Bluesと共にブルース・ハープを使っているのが特徴だ。

 

 


G.B.グレイソンとヘンリー・ウィッターは一緒にセットで語られることが多い。しかし二人ともそれ以前にソロとしての実力があってこそ、組んだ時にシナジーを発揮している。だからここではデュオはもちろんだがソロでも代表的なものを上げた。

G.B.グレイソンはフィドルを通常は顎に置くが、肩に置くという古いスタイルを取っていた。
ヘンリー・ウィッターは1927年にブリストル・セッションにも参加しているし、ソロでやっていた曲が後々スタンダードな曲になるような影響を持っていたので特に重要である。

また、二人ともにアパラチア南部の出身で、まあコテコテのヒルビリーと言えるだろう。生まれながらの環境もあるだろうが、この地帯からカントリーやフォークが広がっていっているという史実から見ても、彼らの存在と影響力は相当なものである。実際彼らをリスペクトしているミュージシャンは多い。

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